親友の死を悼んで

その他

高校時代の親友が突然帰らぬ人となった。原因は新型コロナウィルスであった。友達を忘れないために弔辞を残す。

親友との突然の別れ

先日、親友T君の奥様から突然メッセージが入った。至急連絡したいので電話がほしいとのこと。なぜTからでないのか、Tの身に何かあったのか。嫌な予感がした。離婚や入院であってほしいと思いながら電話すると、Tが亡くなったとのこと。原因は新型コロナウィルスであった。陽性になったものの、熱は下がり、回復途上にあった。待期期間も終わってからの突然の逝去だった。医師であったTは人一倍気を付けていたようだが、そんな彼でもコロナには勝てなかった。

亡くなる前日まで車で出かけるなど生活をしていたらしい。その日の朝、突然体調が悪化。病院へ行き、症状が重くなったため午後から入院予定となった。しかしながら、そのまま帰らぬ人となってしまった。

奥様から話を聞いた後、すべての仕事をキャンセルし、通夜、葬儀へ参列した。前日は一睡もできなかった。

通夜の会場に足を運びたくなかった。通夜の案内板や参列者が目に入ったものの、まだ信じられなかった。

会場に入ると、友人の遺影があった。涙があふれ出た。棺に眠る友達は話しかければ返してくれるように、安らかな顔をしていた。その後、棺に入れさせてもらう手紙を奥様へ手渡した。適切な言葉をかけることができなかった。

現実のこととして受け入れることができないため、別の友人へ相談した。僕にできることはあるだろうかと。すると、その友人は、「T君を忘れないでいること」と言ってくれた。唯一の救いの言葉だった。

T君を忘れないために、ここに弔辞を記す。

弔辞

T君へ

あまりにも突然すぎる別れでした。昨夜、奥様から連絡が来て、嫌な予感がしましたが、まさかの訃報でした。Tに書く最初の手紙がこんな形になり僕は悔しく、運命の残酷さに眠れぬ夜を過ごしました。すべてのやる気がなくなりました。

Tはなんでも話せるたった一人の僕の親友でした。高校時代、同じ路線で通学する理系クラスのクラスメイトとなり、そこからの付き合いでした。ぼくは、枯れた松の葉で着火し、薪を割ってお風呂を沸かす、裕福ではない家庭環境で育ちました。そのため、高校では中入生から「百姓」と蔑まれていました。裕福な家庭で育った人たちとなじめず孤立していた僕に、Tは分け隔てなく、気さくに話しかけてくれ、友達になってくれましたね。社会人になってから、勤務場所が同じ〇〇となり、こんな偶然があるものかと喜び合い、男2人で海外旅行に行きましたね。誘ってくれたのはTでした。結婚前のとても楽しい思い出となっています。いま振り返ると笑い話になるような僕のくだらない情けない悩みを真剣に聞いて、一緒に悩み、考えてくれました。うまく伝えられなかったけれど、僕の親友なのだなと感謝していました。

Tはいつも笑顔で、穏やかな男でした。貧困から脱却しようとハングリーに、ともすれば性悪説で人を見てきた僕とは正反対で、人を信じる、器の大きい、温厚篤実な男でした。僕もTのようになりたいと思い、社会人になってから意識して振る舞いを真似ていたことがあります。ご両親から愛情を一心に受け、育てられた賜物であろうと思います。そして、その人間性は奥様と出会い、ご家族に恵まれて、父親としても磨きがかかっていきました。自宅が近所であるのでずっと家族ぐるみの付き合いができると思って安心していました。子育てが終わったらまたTとゴルフや旅行に行こうと楽しみにしていました。ぼくの誰にも言えない悩みは、これから誰に話せばいいのですか。ぼくはまだ現実として受け止められません。

しかし、奥様をはじめご家族様の心中を察すると、時間はかかっても受け入れなければならない現実なのですね。僕はとにかく悲しく、辛く、悔しいです。

ある小説の一節に、次のような言葉があります。

「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなく、われわれが与えたものである」三浦綾子『続氷点』

Tが僕に与えてくれたもの、ご家族、周囲の方々に与えたもの、それらが貴方の人生でした。Tの人生は消えずに、確実に残され、たくましく大きくなっていきます。それだけは伝えたい。

いろいろと仕事や家庭で疲れたろうと思います。最後は苦しかったな。大変だったな。友達なのに何もできなくて本当にごめんね。安らかにお休みください。そしてご家族、僕たちを見守っていてください。Tのことは一生忘れません。出会ってくれてありがとう。

合掌

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