弘前城のさくらまつり

青森

弘前城のさくらは見た方がよい。おととし7月に青森に着任してより、多くの方々からずっとこの話をされてきた。弘前に関する学習をし、桜の散る前に、タイミングよく訪れることができた。

弘前城は、東に土淵川、西に岩木川が流れ、3重の堀をめぐらす平山城である。東西約800メートル、南北約1kmの広大な地域を占める。弘前藩初代藩主津軽為信がこの地に築城を計画したといわれ、本格的には2代藩主信平からである。本丸の石垣に使用した石は、近くの山や、大光寺(現、平川氏)・浅瀬石あせいし(現、黒石市)などの古城館から運ばれた。天守や隅櫓すみやぐらの建造に使用した鉄は外ヶ浜方面で製鉄され、材木は碇ヶ関から平川へ流して運んだといわれる。まさに青森県を代表する歴史的な遺産である。

さくらまつりは弘前の四大まつりの一つである。明治15年に旧藩士の菊池楯衛たてえが場内に自費で1000本植えたのが始まりであり、大正7年「観桜会」と命名されたのが最初の花見で、以後毎年開催されている。現在では約2600本もあるそうだ。

朝六時。少し肌寒かったが、そのうち身体が温まるだろうとジャケットのみでホテルを出て、徒歩で弘前城へ向かった。弘前の繁華街である鍛治町は昨夜の喧騒けんそうが霧消し、明け方に降った雨のせいもあるのか、しっとりとした静けさを取り戻していた。

お堀から追手門を臨む

弘前城公園が見えてきた。まず目を奪われたのはおほりを埋めるさくらの花びらだ。薄ピンクの花びらが湖面を覆い、自然の造形とは思えない幻想的で美しい情景だ。写真ではなく、陽だわりの中ゆっくりと風景画におさめたい衝動に駆られた。しばしの間たたずみ、追手門へ向かった。

追手門は、屋根にしゃちを乗せ、2階の白壁は鉄砲狭間ざまを具備している。堂々たる威容である。追手門を直進する。さくらの木々の梢には、さきほどまで立ち込めていた靄が、まだ千切れそうになって残っている。澄んだ空気が心地よい。

さらに直進すると堀に突き当たる。右手が植物園の入口であり、堀を隔てた東角に二の丸辰巳櫓がある。左折すると右手前方に杉の大橋が見えてくる。ピンクと緑の合間からその存在を強く主張する、塗りなおされた美しい赤色の曲線が印象的であった。

出店を背にして杉の大橋を臨む

橋を渡るとすぐに、二の丸南門がある。大きさは追手門と同じくらいであろうか。南門を通ると、前方松林の奥に二の丸未申ひつじさる櫓がみえる。右に歩いていくと、右奥に先ほどの二の丸辰巳櫓がみえる。石垣の中に「亀石」とよばれる大きな石と、「鶴の松」とよばれる老松があった。堀沿いにすすみ左折すると、下乗げじょう橋と天守が見えてきた。

 

専用の展望台から天守を臨む

天守は三重三階の独立天守で、破風はふ懸魚けぎょ白漆喰塗しろしっくいぬりとした切妻きりづま屋根が美しい張り出しを見せていた。早朝であったため、天守内には入れなかったものの、残雪のある岩木山を展望することができ、名状しがたい感動を覚えた。弘前城は素晴らしい観光資源であると感じた。我が故郷の仙台でも、私が生きているうちに青葉城の再現を期待したいところである。年季の入ったラジカセを芝生の上に置き、ラジオ体操をされている方々がいらっしゃった。弘前の日常風景なのであろう。街中にある平山城であるためか、山の上にある青葉城にくらべて格段に市民生活と一体化がすすんでおり、素晴らしいと感じた。

残雪のある岩木山

本丸から北に降りると北のくるわにでる。上空から少しだけ雨粒が感じられたため、護国神社には行かず、西へ進路を変更し、出店街をあるいた。靴に入り込んだ小石を取り除き、足早にすすむとそれは突然現れた。桜のトンネルである。

はやる気持ちを抑え、トンネルに入る前に、入り口付近にある春陽橋の上で、西堀と桜並木を写真に収めた。トンネルを構成する木々は葉桜になりかけていた。桜を愛でるにギリギリのタイミングであった。ゆっくりと歩を進める。木々には切除の跡が多く見られたが、1本1本が太く、立派であった。代々、弘前の方々に温かく守られ、育てられてきたのであろう。深く差し交した桜の枝葉の間から、明るい日差しがピアノ線のような細かな線になって降り落ち、頭の片隅で仕事のことを考え始めた私を、再度、さくらの世界へといざなった。幸い花びらをふるった桜のこずえを、煙らせるほどの雨もなく、やがて曇りながらもうす明るい朝が訪れた。

弘前工業を左手に坂を上り、追手門の方へ歩いていくと、コーヒーを片手に歩いている人がみえた。一見分からなかったが、和洋折衷のかわいいデザインの建物がスターバックスの店舗となっていた。店内も大変お洒落であった。

青森市は県庁所在地として都会を形成し、善知鳥うとう神社をはじめ歴史を残す街で気に入っているが、街としての収まりというか、人々を収容する生活空間の品質としては、城跡公園を中心に広がる弘前の方が、私には合っているように思えた。

弘前城のさくらまつりは、名状しがたい、聞きしに勝る美しさであった。願わくは、地球温暖化の影響で早まっているその開花が例年並みに大型連休と重なり、より多くの観光収入を青森県内へもたらさんことを。

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