車窓からみえる八甲田山を、真夏の太陽があぶっていた。屋外で社内の訓練を視察した帰り道、エアコンの送風口に手のひらを当てながら、遠くの山並みを漫然と眺めていた。事務所に戻ってからの業務予定を思い返そうとしたが、暑さにやられたのかうまく頭が働かず、すぐにやめた。それまで抱いていた雪深いイメージから、私は、青森市の夏は涼しいものだと思っていた。けれども、実際に住んでみると、自宅のある宮城県と日射量はそう変わらず、暑かった。ただ、作業服であるためか、ワイシャツが汗で肌にはりついても、スーツを着ているときに比べて不快には感じられなかった。
信号待ちをしているときに、ふとある看板が目に入った。それは、縦3m、横2mほどの大きさであり、ちょうどT字路の交差点沿いに立っていた。次のような宣伝文句が書いてあった。
『昭和大仏 この先 200m』
私は、同乗していた2人に、あれは何ですかと尋ねた。
「そうですね。たしか大きな大仏があるだけで、わざわざ足を運ぶまでのスポットではありませんよ」
「ああ、あれですね。あるのは知っていますけど、一度も行った事は無いですね」
といった返答であった。2人とも青森県民であり、青森市での勤務経験をもっている。ここは中心街から車で15分ほどの場所であるから、3年も住んでいれば、1度は訪れる機会がありそうなものである。それが、2人とも行った事が無いという。どうやら青森県民の中では関心が低いスポットのようだ。その程度の場所なのかと解釈し、「大仏」とはまた大仰な文字を使っているものだと、どこの誰とも分からない持ち主に、私は多少の皮肉めいた心の声をつぶやき、記憶から一時的に昭和大仏を滅却した。
その週の土曜日、快晴の天気予報を受け、作業服を洗濯したのち、ベランダに布団とマットレスを干していた。ふかふかで、幸福な夜の睡眠を想像していたそのとき、ふと昭和大仏の文字が頭をよぎった。生活に必要な一連のタスクを終えたら、駅前にあるアウガの図書館へ移動し、勉強をするつもりだった。しかし、先週末も調べ物で図書館を訪れていたことを思い出し、同じ過ごし方は味気ない感じがした。そして、青森市内に住んでいる、昭和を知っている人間として、昭和を冠する大仏さまを一度くらい拝礼してみようかという気になった。調べてみると、どうやら青龍寺というお寺の敷地の中にあるらしい。愛車のロードバイクの空気圧をチェックし、服を着替えてさっそく向かってみた。
港町から国道4号線を東へすすみ、背中にじりじりとした真夏の太陽放射を浴びながら、田園の中を青龍寺に向かった。30分ほどで到着し、自転車に施錠して階段をのぼる。青森天然ヒバを贅沢に使った数々の建造物が目についた。拝観料を払って本堂の中へ入る。驚いたことに、神聖な本堂の中にも関わらず値札の貼ってあるお土産品が所狭しと陳列されている。商魂たくましい住職であるようだ。私は好感を抱いた。
本堂を囲む回廊にカメムシがちらばっていた。所々、群れを成し、島のようになっている。踏みつぶさないよう、一歩一歩、空間を確かめながら歩いた。枯山水の向こうに、五重塔が見えてきた。京都より東側のエリアで最も大きいものだそうだ。杉林の間を吹き抜ける柔らかいそよ風で身体を冷やしながら、しばしの間観覧した。
本堂を出て、いよいよ大仏様の拝観のため、邸内の奥へとすすむ。巨大な座像が見えてきた。自転車をこぎながら想像していたよりも、ずっと大きかった。奈良や鎌倉よりも大きいらしい。こんなコンテンツが身近に潜んでいるとは驚きであった。
靴を脱いで胎内に入る。大仏様は円形の坐布の上に座っており、その坐布が仏像その他の様々な展示室となっている。曲線の廊下の壁には真言密教の教えが掲示されている。仏教と宇宙とのつながりが説かれていた。しかし、凡人の私には少々難しかった。
二階には過去の戦争で亡くなった方々の位牌がびっしりと並べられていた。そのとき、ふと床を見ると、カメムシが一面にうごめいていた。床がまるでモザイク画のようにみえ、そしてそれが前後左右に波打っていた。先ほどの回廊の比ではない。カメムシの大群である。足の踏み場もない。私は、元来、霊感というものを持ち合わせていない。したがって、こうした霊廟を一人で訪れても、常に無弾力性であった。しかしながら、このときは、体の血流が逆流するような衝撃を受け、本能的に、一刻も早くこの場から退散した方がよいと感じた。不思議な力が、カメムシを引き寄せているのだろうか。
外へ出て、風にあたると、いく分か心持が落ち着いた。私は、途中にあった茶屋へ行ってみることにした。土曜のお昼時にも関わらず、閑散としていた。この茶屋は、拝観料を払う関所の内側にある。茶屋を運営している目的が、利益を創出することであれば、関所の外に出すべきであろう。
ラーメンは、八戸ラーメンのような、体に優しいお味であった。普段は青森のにぼしばかりを食べていたので、新鮮に感じた。おすすめは最中アイス200円である。ご覧いただいて分かるように、アイスの量が多く、収まらない。子供はきっと喜ぶ一品であろう。外であるため、小さい子連れファミリーでも、周囲へ気兼ねなく、リラックスできる場所である。
青龍寺は、昭和50年代に建立された。高度経済成長期は過ぎたものの経済は前向きで、人口も増加していた時代である。バブルに向かううねりの一端が、ここ青森に及んだ結果なのかもしれない。周囲はいまだ山と田園が広がるエリアである。もう一つ、何かが加われば、この大仏を中心に三内丸山に次ぐ、青森市の観光スポットになるかもしれない。真言宗であるから、派手に護摩供養をすれば、外国人受けするのではないだろうか。大いにポテンシャルを感ずる場所であった。いつかまた訪れてみたい。
コメント